先日は初任者研修でコミュ障を炸裂させて、自分でも途方に暮れるほど落ち込んでしまいました。
なぜこんなにも胸が苦しいのだろうと考えてみると、学生時代、席替えや班決めで、ペアになった人にあからさまに嫌そうにされてきたトラウマがありありと蘇るからでした。
介護の研修の場でも、回を重ねるごとに仲良くなる女性陣は、ペアを組むときに仲良くなった人と組みたがり、私はポツンとあぶれてしまうのでした。
たまたま隣り合わせて私とペアになりかけた人も、さりげなく仲良くしている人の方に移動するのが見えて、学生時代のことをたくさん思い出してしまいました。
緘黙症時代の私は、「隣同士で話し合って」とか「グループに分かれて」と言われるたび、週に何度もこんな痛みに耐えていたなと思います。
それに比べたら、大人になってどれだけ楽になったか。それでもトラウマって何十年も心に残り、痛みを伴いながら甦るものなのだなと怖くなりました。
そんな今の私を救ったのはブログでした。
ネットを見ていると、40代でも50代でもコミュ障で苦しみ、私と同じような思いをしながら生きている人がたくさんいることが分かります。
このブログも、もしかしたら私と同じような人が読んでくれているかもしれない。
そう思うと、この深い痛みが少し癒えました。
そして先週で無事、初任者研修が終わり、資格をゲットすることが出来ました。
仲良くなった人たちでお茶して帰るグループを目にして、最後までチクチクと胸が痛みましたが、「学校」「教室」という空間から抜け出せて、飛び上がりそうなほど嬉しい気持ちです。
それと同時に、私のコミュ障は一生直らないなと確信しました。この歳になるまでは、「おばさんになって図々しくなれば、コミュ障なんて気づいたら直っているかも」「一生こんなことで悩むなんて馬鹿らしいから直してみせる!」などと思っていましたが。
出会って間もない人(半年未満)+大人数(7、8人以上)の人を目の前にすると、私の思考回路は恐怖でストップし、目は人と目が合わないよう下を向き、体は音を極力立てないよう固まって、心ここに在らずの状態でただやり過ごすことしかできなくなることがよく分かりました。
これは努力とか、ドーンと構えるとかで何とかなるものではなく、反射神経的に、無意識にそうなってしまうので、私のせいではない。
場面緘黙症や緘動の後遺症で、私が一生抱えて生きていかなければならない症状なのだと思います。
普通にすぐ下の名前や呼び捨てで呼び合って、冗談言い合って仲良くなれてしまう人たちとの違いに途方に暮れ、同じ人生でもなんでこんなに違うのかと苦しくなりますが、この痛みのおかげで、人の気持ちが分かったり、障がい者支援の仕事に一生懸命になれたりするのだと思います。
悪いことばかりではない。この痛みのおかげで人の痛みが分かる。
初任者研修で介護を学ぶ前に、そんなことを痛感した2ヶ月間でした。